考えかたのはなし

前のブログから引用
2013日1月27日に書いていた


いまもこう思っているし、こう思っていたい。



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おはようございます。

そして、あけましておめでとうございます。



ぱっかーんあけましたね。

一ヶ月ぐらい前に。





今年はもっとブログを書く年にしたいです。


(って毎年言ってる気がしますが。)












ほんとはずっと、書こうっていうか書かなきゃと思っている事がありました。

出来れば前にあげた記事のすぐ後に書きたかったのですが。



えっと、前の記事は、アレです。
やすばの昔の会話を文字にしたやつ。


なんだか、夜中のテンション?で妙に重い記事にしてしまったなぁと思って。


言い訳ではないのですが、
「そうじゃないよ」という事を書きたかった。

一ヶ月以上もあいてしまったけれど…苦笑




私は、

あの頃の、あの時の会話がすっごく大事なんだけれど。
でも、例えば二人の曲があの時から一つも出来てない事を、特になんとも思ってはいません。

そういう事を書きたかった。



いえ。
なんともって言うと、ちがうのですよ。

そりゃあずーーーと望んではいるし、
「もし」の過去と未来といまを考えるし、
飲み会では「嘘つきーばかぁー」なんて暴れるんですけども・・・。





恨んでは、いない。
絶望だってしていない。

それを、ちゃんと言っておきたかった。


それは一つはまだまだ諦めてないから、というのあるのですが・・・。



あの時に言った言葉が今に叶ってなくたって、
それは現時点ではもう「嘘」になったと言えるのかもしれないけれど、でも、そうじゃない。

その時のその瞬間にその想いが本当だったらなら、それでいい、と思うんです。



少し違う話になるけれど。


私の中の理想。
図々しくもエイトにとってももっとベストと思われるあれこれだってずっと考えてきたし、今も考えるけれど。

そういうものが叶ってなくても、叶わなくても、それでもいいって。
それは、決してなにかを諦めてるからとか、未来に願望がないとかじゃなくって。




最近まで、
私はもしかしらたら、いくつかすごい大きな勘違いをしてたのかもしれません。

その中の1つが
過去というものを肯定する方法はいまと未来が素敵でしあわせでHappyである事だと思っていた、という事なんですが。

「いま」は未来のためだけににある訳じゃないって思ってるのに、
なんで「過去」はいまのためにあったって考えてるのかなって、ふと。


もちろんあの時があったからいまがあるというのは間違いじゃないし、
昔がどんだけしんどくったっていまがよければそれでいいっていうのは本当です。

でも、「いま」によって過去の色を変えてしまうのは、違うんじゃないかって、最近考えます。


なーんて言ってもきっとそういう事をせずにはいられないし、
都合よくそういう作業を意図的にやる事もあるんだと思うのですが笑


毎日はつながっているし、
その日その時があるから今があるのだけど。

でも、なにがあっても、その時はその時で、ちゃんとあるし、あった、んですよね。



だから、すごく「大丈夫」だなぁと思って。
ものすごく安心するなぁと思って。


んと。

私は、なんだか随分のんきに、割と今まで毎日楽しい楽しいと思って生きてきたのだけど、
明日ものすごくつらい事があったり不幸が襲ってくる可能性もありますよね。

でも、いいんですよ。
いやいや、いいって事はないですけど笑



例えば明日からどれだけつらい日々になったとしても。
昨日あったすっごい素敵なことがなくなる訳ではない。

だから、大丈夫。



思い出は脚色が出来るものだけれど、私の過去は私自身も奪う事が出来ない。

例えば受験に失敗したって勉強を頑張った事自体が嘘になる訳じゃない。
もう好きじゃなくなったからって、好きだった日が嘘になる訳じゃない。


そのときにあった本当は、未来になって嘘になったりしない。

誰にも盗られない。
誰にも変えられない。


だから。


それってすごく安心しませんか。




エイトを見てると、

これからどうなるんだろうなっていうよりは
これからどうなっちゃうんだろうなぁって思います。

だけど、もしかしたら、私の希望するものと離れるかもしれない。

そうなったらすごく寂しいけれど、
でも、もしそういう時がきたら、私はそれをちゃんと見据えていたいなぁと感じます。

なんだか歪曲して、無理矢理にどうにかして素敵なものとして見るのではなくて。
もう徹底的に大嫌いってなっちゃってもいいかもしれない。


でも、どうなっても、恨みはしない。



大好きだった、から。
その気持ちは本当だったので。


そうそう。
大嫌いになっても「大好きだった」はなくならないんですよ。

心のどっかで消えないとか、そういう時間が自分をつくったからとかじゃなくて。
そういう瞬間があったその事実は、永遠という意味で。


ふっふ。

彼らがどうなってもいい覚悟を、2013年のいま、すっかり手に入れてしまいました。



いつだったか、彼らとなにかを共有したと、思えた。とか。
本気で憧れた、その愛しさが一番大事だった。とか。

そういう気持ちさえ、忘れる時がきても。

でも、消えちゃなわい。



意味なんてないかもしれないけれど。
でも何もなかった訳じゃない。


と。

なんだかそれで十分じゃないかって。

最高に楽しくてしあわせで大好きなその瞬間があった。
というか今もそうですし、その夢の中にずっといさせてもらっていて。




そういう実感があったんだ、と。
その感情さえ忘れたって、でも、そういうものがあったんだって事だけは忘れない。

もうそれで十分だし、
それ以上に、彼らからなにかを望む必要なんてないんじゃないかって、そう思うんです。

本当に大好きだったから、彼も、彼らも、関ジャニ∞も。


そう思わせてくれた事を、その事を忘れたくないと思わせてくれた事を、
その瞬間があって、そんな最高な感情や時間をくれた事を、それが、それだけで。



十分だなぁってしみじみ。

「もう、それでいいなぁ」と胸にすとんと納得があります。


やすばの事も。

その時にやすばが互いに必要としあった時間があった事を知っているから。
いまそこに何があるかわからなくても、でもあの瞬間の何がなくなる訳じゃない。
もちろん色々私の勝手な思い込みの部分が大きいですが、でもそれが私には大切…。

だから、ものすごく絶対やって欲しいのと同じぐらい
あと50年ぐらいは待てる、気持ちも本当です。
(それでももう「ない」は考えないですよ笑)





あ、自分の事もね。

さっきも言った通り、私は安心して、いつ不幸になってもいい!んです。



今までたくさんいい事があったから。
すごく恵まれていたから。

どんな未来になっちまったってあん時の幸せが本当だったからもう十分ってぐらいの気持ちで。



あれ。

なんかババくさい…笑




もちろん、私はまだまだです。
未来を慮って、今に奮闘してます。


頑張らなきゃって。
色んなことにもっともっとと思ってます。

思い出さえあれば他に何もいらないって言いたい訳じゃなくて。



決して「あがり」たい訳じゃないです笑



もちろんエイトさんに対しては、
さぁ、こっから何を見せてくれるかしら、と思ってます。

8周年が終わって今からが本当の勝負所=見どころだって感じてます。



彼らを信じているので。


むふ。


そうだ。
最近、エイトさんを「信じてる」ってなんだろうって考えたんですけど、
なんだろう、イメージは「全額お前たちに賭ける!ドーン」って感じで。
ただ漠然と・・勝つと思う方に身を委ねてみたいっていう。

きっと信仰とか信心、的な「信じる」よりもっと愉快で滑稽でかわいいですよ笑




そうそう。

でもヤス君には思ってるな。



「ヤス君が選ぶなら、それが溺るる舟でもそこにのる」







さぁ。

今年はどんな一年になるでしょうか・・・(*´▽`*)