「未来」は選べる。

すばる君の卒業から約2年、亮ちゃんの卒業から約1年。
日々、色んなことがおきていますね。

コロナウィルスの感染拡大。
ジャニーズの中で言えば嵐さん、中居さん、手越くん、TOKIOさんそれぞれの独立。
そして、三浦春馬君の死…。


余談ですが、三浦君のニュースを私は病院で知りました。
この数か月に、私にも色んなことがありました。
実はある手術をしました。
手術中は麻酔で眠っていてたのですが、目が覚めてスマホを見て一番に見たニュースが三浦君の件でした。


今。
STAY HOMEで暇だということもあって、色んな事を考えています。

withコロナの世界で、私はどのように生きていくべきなのか、とか。
いや。コロナは大きな問題だけど実はそこにばかり捕らわれていてもいけないと思っていて。
コロナのせいで世界が変化したように見えるけれど、実際は元々あったもの、その事象が加速しただけという事は多い。
見て見ぬ振りをしていたもの、いいも悪いもその本質が露わになっていて、向き合うべきはそちらかなと。


そんな中で、思うことをつれづれ書きます。

最近思うことがあります。
それは、すばる君、亮ちゃんの選択は、私にとってはとても寂しいものだったけれど、2人が未来を選び、一歩を踏み出してくれてよかったな、ということ。
それができる彼らでよかったな、と。
2人に対してもそう思うし、改めてその背中を押した他のメンバーのことも誇りに感じています。


少し前にTwitter上で拝見した、「貧困」をテーマに書かれたブログの中で、「貧困とは「選択肢を持てないこと」」という文章がありました。*1
このブログ自体もとても考えさせられるものでしたが、この一文がその立場の辛さを端的に表していると思いました。

人の幸せ・不幸せをはかる尺度はいくつかありますが、その一つに「自由」を感じられているか、というのがあると思います。
「自由」つまり、自分は何かを選べるという実感。
その「選択肢」は今日の晩御飯何を食べる?みたいな小さなことから、どんな仕事につく?、結婚する?とか大きなものまで様々でしょうが、
自分が様々な選択肢を持っているということ、そして自分が何かを選ぶ力・その未来を実行する力があるということ、その両方の実感があることが大切だと思います。
今すぐにその選択を行うかはさておき「私にはそれができる」と思えていることが必要。

逆を言えば「自分には選べる未来がない」とか「自分は~~でなければならない」とか、そんな状態はとても辛い。
例えばそれがどんな場所だったとしても(それが人から羨まれる環境だったとしても)、「何も選べない」「どこにも行けない」と自身が思っていたとしたら、それはとてもしんどい状況です。


だから、私は関ジャニ∞の「永遠」を望んでいたけれど、でもそれを振りほどいてくれる彼らでいてくれてよかったなと思います。
ファンの望みが彼らを縛り、抑えつけ、彼らを苦しめる、そんな足枷になっていたとしたら、それは一番つらいことだから。

私が私の人生の自由を望むなら、私の好きな人にも自由があることを知っていなくてはいけない。
例えば「好き」という感情を盾にして、自分の自由を求めることで、誰かの自由を奪うことはしてはいけない。
「コントロールできないのが当たり前」という、当たり前のことをやっと心から理解しています。


そして、彼らが選んだ何かに対して、そこに「理由」「意味」を求めるのも、また残酷なことだなとつくづく感じています。
選択は、正解・不正解や、損得とか、効率・非効率とかそんなわかりやすいものによってされるとは限らない。
明確な理由がなかったり、色々な総合的な判断がされることだってある。
そして、それでいいんですよね。
ついつい「納得したい」と思ってしまうけれど、それが傲慢だったと思っています。
「その選択を許すために、納得する理由がほしい」だなんて、結局自分の中の枠にはめておきたいというのと同義だなと。

最近気づいたのですが、私の中には勝ち負けとか、作品の完成とか、どこか「結果」を求める価値観が強く存在しています。
関ジャニ∞に勝ってほしい」「彼らが望むものを手にいれてほしい」とか、結構本気で思っていました。

でもアイドルって、お芝居のように美しい結論にむかうためにある訳でも、サッカーのように最終的な勝ちを得るために行われている訳でもなくて。
アイドルは、「結果」のためにある訳じゃなくて、例えば一曲のダンスのようにどの瞬間もかけがえがなくて、その瞬間が全て、みたいなそんな存在なんじゃないかなと。

「今」がずっと続いているだけであって、振り返れば後ろにたまたま道があっただけで、
「~~のために~~なっていくだろう」とか、「~~になるはずなのに、なんで~~しないの?」とか、そんな想いを抱くことはワガママだったなと思っています。
そしてこの思い込みが自分自身をしんどくしていたのかなとも。
これはアイドルだけに限らず自分の人生に対しても、言えることですが。
勝ち負けや結果を求めすぎるせいで「今」を味わい尽くせてないとしたら、とてももったいない。


と、そうは言いながら、やはりただただ刹那的にただこの瞬間だけを感じる、というのは多分出来ないな…とも思っています。
どうしても全体的な流れや、物語に寄りかかりたくなってしまう。
そして、未来があることを信じたいと思ってしまう。
(亮ちゃんはその辺りのバランスがうまくて、「作品の中にあるものが全て」みたいに魅せてくれるよね…知らんけど…)

メンバー自身も自分の人生をさらけ出そうとするし、自分たちの物語を情緒たっぷり表現する。
彼ら自身が物語を必要としているし、意味を求めているようにも見える。
それが「~~でなければならない」という窮屈なものではなくて「~~でありたい」という希望に溢れたものであることを願います。

こんな思いもまた、また彼らに対して何かを強いることになるのかもしれないけれど。



彼らの足枷にはなりたくないけれど、でもエゴを捨てきるなんて出来ない…というのが本日の結論。
これだけ色々長文を書いていて、ほんとどうしようもないなと思うのですが。

なんか前にもそんなことを考えてました。
hitujimk9.hatenadiary.org

私、良いこと言ってるな…。



永遠なんてないと知りながら、永遠を信じてる。
意味なんてなくていいと思いながら、意味を問い続ける。
手放す覚悟を持ちながら、それでも求め続ける。


そんなオタクに私はなりたい。

人から「なんのために?」と言われても、そこに答えは持てない、そんなものを選び続けてる。
そんな自由をむさぼっている。