"アオハル"と呼べる日々は 始まったばかりさ

十八祭に参加しました。

と、ここに書くのに約一か月かかりました。

 

それが何だったのかを、

ぽやぽやと考えて、気がつけばこんなに時間が経っていました。

 

思えばブログも久しぶり。

いろんなタイミングで何かを感じていない訳ではないけれど。

それを言葉にすることが難しくて、

試行錯誤している間に時間が過ぎてしまって、

あぁ、また何も言えなかったなぁと思うことを繰り返していました。

 

だけども、

少し時間がかかっても、

十八祭に参加したということはここに書いておきたかった。

 

 

 

そうですね。

結論、

十八祭、

めちゃくちゃ楽しかったですねぇ。

 

うん。

楽しかったです。

とても、楽しかった。

 

 

生のエイトを見たのは何年ぶりだろうか。

最後はいつの、何だっただろうか・・・っていう感じだし、

エイトさんの番組もまばらにしか見られていないし、

まだ、8人や7人や6人やっていうことを消化しきれていないし。

(これは多分まだちゃんと向き合っていないから・・・すみません・・・)

 

表現が合っているかわからないけれど、

「どの面さげて」感、罪悪感に近い感情がありました。

コロナやチケットや色んな事情で参加が出来なかった方がいるのも知っていて、その中で「私などが・・・」という申し訳なさもありましたし。

 

そして同じぐらい、

「ついていけないんじゃないか」という不安もありました。

なんだろう・・・ノリや、温度や、湿度だったり。

エイトの贈り物を私は正しく受け止められるんだろうか、今の私はそこで何を感じるのか、という怖さがあった。

 

 

でも、

楽しかったです。

いろいろと考えていたことが馬鹿らしくなるぐらいに、

カラッとした気持ちで、大声で叫びたいぐらい、

ただただ楽しかったです。

無防備で、手放しで「馬鹿になろうぜー!」になった。

 

 

 

なんでだろうか、と。

 

私の中の結論は、

「あぁ、これが今のエイトなんだ」、がストンと府に落ちたこと、

5人の関ジャニ∞が素敵で、

「今のメンバーが織りなす関ジャニ∞のエンターテイメントが完成しているのを感じられたから」だと思います。

 

大して追いかけてもないくせに偉そうなこと言うなよと、思った方がいたらごめんなさい。

もっと単純に言うと、

私は十八祭の時にすばる君や亮ちゃんのことを思いだなかった。

(いや、全くなかったかと言ったら嘘になるけれど、)

なんだろう、「今ここにすばる君・亮ちゃんがいてくれたら」ってもう思わなかったんですよね。

すばるや亮ちゃんがいたらまた別の表現や輝きがあったかもしれないけれど、

5人の関ジャニ∞はそれはそれで一つの完成形に見えたし、そこに穴や隙間はなかった。

と、私は思います。

 

5人だけど、でも、関ジャニ∞は最高で最強だった。

そのことがすごく嬉しかった。

身体も心も全部をエイトにあずけられた。

エイトの熱い気、そのエネルギーが気持ち良すぎました。

 

 

まぁ、ヨコさんがギター弾いているのを見ると、

心臓がグワッとつかまれる気持ちになったりするけどね・・・。

あんなに萌えと切なさが共存する感情はない・・・。

こんな形でヨコヤスがギターコンビになるとはな!!!って、全然慣れなかったりするけれど・・・!

 

 

 

「十八祭」という名を背負っている割には、

関ジャニ∞の物語を語りすぎないのも個人的にはよかったです。

 

メンバーの挨拶も「色々なことがあったけれど」なんて言ってはいたけれど、

すばる君、亮ちゃんのことを特別指してはいなかったですね。

(どちらかと言えば、過去に中止になった野外のことだったりを指してたかな。)

 

エイトは物語のグループだから。

(いや、アイドルだってなんだって、ヲタあるところには物語があるって知ってる)

私も物語にすがってきたし、

物語を紡ぐことにこそヲタであることの意義や、もっと言えば使命感みたいなものさえ感じていたけれど。

 

十八祭の関ジャニ∞は、

よい意味で物語を手放しているように感じました。

十五祭は関ジャニ∞の歴史をぎゅっとその場に閉じ込めたように感じたけれど。

十八祭はフラットなお祭りだったかなと。

そのことに、なんだか救われました。

 

まぁ、

そんなこともまた物語の一部だったりするのでしょうが。

関ジャニ∞の長い物語の中の途中ではなくて、

これは5人の物語の最初のページだな、と私は感じました。

 

 

 

コンサートの後に、

目を閉じて思い出す曲が、

喝采と、CIRCLEと青春FIREWORKSでした。

 

新曲の3曲が一番楽しくて、格好よくて、好きだった。

懐かしい曲をやってくれるのはもちろん嬉しいけれど、

今の関ジャニ∞、5人の関ジャニ∞の曲が嬉しい。

 

5人のために作られたものを、

いま、そして未来にむけて表現しているのはとても、純度が高い気がしました。

 

 

 

ちょっと話が逸れますけれど。

これらの曲や、

最近の曲になんだか折々に出てくる「青春」という言葉。

これが、少し私の心を軽くしてくれています。

 

関ジャニ∞を表現するのに、「旅」という言葉を使うことがありますよね。

めっちゃくちゃ語弊があるかもしれないですけど、

なんかね・・・「旅」はもういいわ、と感じることがあります。

 

この旅はどこに向かっているのか、

その旅はどこまで続くのか。

 

何かを得たり、どこかに辿りつかなければならないなんて思わないけれど。

歩き続けること、どこかへ進むこと、何かを目指すこと、

またその道や出会いや別れに意味を求めたり、物語を感じたり、

そんな含みがある「旅」という言葉は、なんだか重くて窮屈にも感じる。

 

「青春」ぐらいが丁度よい、気がしています。

 

旅をしているより、

「青春飛行をしている僕ら」

「青春ハードパンチャーベイベー」

って言ってくれる方がいい。

 

「若さ」の意ではなくて、

「喜怒哀楽を乗せて」るその時間の濃縮さの意味で。

そして、

それぐらいに無責任で刹那な言葉が、「気楽でいいな」なんて思ったり。

エンターテイメントでもいいですけれど。

儚さを含んでいる方が安心する、なんておかしいでしょうか。

 

 

 

私はそんなことを感じたりしましたが。

 

きっと同じ十八祭に参加していても、

参加されたいた方の数だけ色んな感情があるんだろうなって想像します。

 

長居に5万人?4万人?が集まるってすごい。

ここにいる皆さんはどこから来てどこに行くだろうか、なんて考えてしまいました。

 

2017年ぐらいまで、

ドームにいる人みんなそれぞれ色々な考えがあっても、

きっとエイトに対しては似た物語を抱いているかしらーなんて、そこそこマジで思ってたけれど。

そんな訳なかったですよね。

「エイターとは」「関ジャニ∞とは」なんてなかったですね。

 

そして、今ここまできたらますます、

いやもう100人いたら100人いたらみんな違う所感だろうなと思うし、

5万人いたら5万人違う物語だろうなって思います。

だから、私も勝手なことを感じててもかまわないだろうなってなるし笑

 

 

あぁ、

もっと十八祭のあの曲のこと、

この曲のことって書きたかったですが、

全然違う方向で着地してしまいました・・・。

 

そりゃ、

Dear Summer様‼とかクラゲとか!

アネモネとか、All is wellとか、あぁ~~~ってなりました(語彙力)

 

単純に今後エイトはどんな曲やるんだろうか~~~というのも楽しみになりました。

 

そうですね。

まだまだ足洗えそうもないよねっていう。