すばるくんのこと
前のブログから転載
2011年11月22日
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毎日、FIGHTしています。
やっとアルバム聴きながら動悸息切れめまいがしなくなりました。
もうずっとずっとこれだけ聴いてたい。
っていうのはまたゆっくり書くとして。
今日はずっとずっとなんとなく書きたいなぁと思ってた話。
すばちゃんのこと。
安田担の私が、図々しい事を承知ですばちゃんの事を少し。
我慢が出来なかったので。
ついったではずっと最近よく言っているのですが、
すばちゃん、
渋谷すばるさんが本当にほんとにほんとに格好いい!!
私がその変化に触れた気がしたのは、去年の今頃です。
それを変化と言っていいのか。
彼の中にはずっとあったもので、私がそれに気づいたのが最近という事かもしれませんが。
そんな事を最近感じています。
うまく言えないけど、確信としてそう思うし、その思想がストンと胸に落ちる。
すばちゃんと言えば、まず何よりも関ジャニ∞のメインボーカルというのが特記すべき事ですが
歌い手としてのすばちゃんが間違いなくて、だからエイトが間違いない・・・っていうのに近い感覚。
前の記事でも書いていますが私は関ジャニ∞の音楽が大好きで、っていうのはもちろん「渋谷すばる」の存在が大大大前提です。
だからもちろん、関ジャニ∞が歌を歌う限りすばちゃんの存在は私の中で揺るぎなくて、
エイトの楽曲を好きだと思う感情は直結してすばちゃんへの愛を募らせます。
だけどちょっとそういう事を置いてみても、すばちゃんが本当に格好いいです。
ん?
いや、歌い手であるという事を置くことは出来ないんですけど。
だってすばちゃんだし。
歌い手である事を前提に、それを通じて、それが当たり前という中で、すばちゃんが格好いい・・・というのが正しいのかな。
なんだろう、すばちゃんの「あるがまま」感が本当にたまらないんですよね。
昔から嘘がつけなくて、うまく出来なくって。
だからしんどい事もたくさんあって、アイドルとしてどうなのっていう事もあって。
そういう時期を経て、そういう本質はきっと変わらないと思うのですが、
あるがままであるのと同時に、自分が立ってる場所をきちんわかっていてそれをしっかりと肯定しているあの感じ。
「大人になるという事は、それがどんなものであれ自分の運命の全てをさも自分が選んできた事のように引き受ける事だ」
これは大学のある講義で学んだ言葉で、大好きな言葉です。
すばちゃんを見てると「まさにこれが!」と思います。
オリスタですばちゃんが
「「歌が好き」って思ったことは一回もないです。
(略)結局のところ、それしかできひんってことなんやろうな。
他にもっと長けてることがあったとしたら、やってるやろうしね。」
なんて言ってるんですよね。
そういえばその前に「小さい頃から歌が上手かったんですか?」と聞かれて
「そんなことないよ。」
って言ってる。
これは「小さい頃から」じゃなくて「歌が上手い」にかかった否定ですよね。
すばちゃんって昔から自分は別に歌は上手くないって言ってたりするのですが。
歌は上手い下手じゃないっていうのもそうだけど、もっと客観的に「自分は別に歌はうまくないよ」という気持ちは本心でありそうで。
(しかし横山さんが「すばる歌うまくていいよなぁ」に苦笑いするすばちゃん、っていうのがたまらなく好きですみません)
上手いからとか、好きだから、じゃなくて。
もっと切に「自分にはこれしかない」「自分にはこれがある」というのがおなじ力で彼の中にある。
それは別に希望でも絶望でもなくて、事実として、例えば自分の名前が「渋谷すばる」である、みたいに当たり前にすばちゃんの中にある事柄のように思います。
こういう肯定の仕方ってすごくないですか。
だって、人は意味と理由を求めてしまう生き物だから。
そして人はそこに希望を見つけようとして安心しようとする。
もっと言えば「その希望」に振り回されたり、しがみつこうとするのが普通だと思うんです。
だけどすばちゃんは「歌を歌うこと」やその自分・・それ自体に特別な意味を求めてはいない。
(そういう時期もあったかもしれないけど)
そして。
「そう」あるべきとして歌を歌ってきた・・事を経て、
すばちゃんはさらに、アイドルとしてジャニーズとしての自分っていうのをうまく受け入れられるようになったのではないでしょうか。
というか、引き受けられるようになった。
そんな自分。同時に、関ジャニ∞を。
私はすばちゃんにはずっと彼自身を解放していて欲しくって。
去年あたりから「ファンの人が喜ぶ事をしたい」「求められてる事をやりたい」なんて事を言いだした事に少し驚いたし、悲しくもあったのですが。
去年のぱっちから今年にかけてのすばちゃんを見てるとそれがすばちゃんの本心というか今のあるがままの姿勢なんだな、と思うようになりました。
すばちゃんはある意味では全くアイドルらしくはないけれど、
実はエイトの中で誰よりも関ジャニ∞がアイドルグループである事を自覚している気がします。
自分の客=ファンが自分(達)をどう見ているか、例えば求められているのは歌だけじゃない事もよくわかっている。
「すでにあるもの」「そこ(ここ)にあるもの」を引き受ける事が難しいのは、そこにの大きな諦めを伴うからです。
そういうもんだ、と思って飲み込むのはたくさんの希望に手を伸ばさない事だから。
でもそれは決してマイナスの感情ではなくて・・・。
だって事実として事実はある訳だから。
(でもそれが難しい)
自分を知るという事は
きちんと、自分が自分として生きていく覚悟を決めるというのと同じ意味だと思うのです。
いつしかすばちゃんは、ジャニーズとしてアイドルとして関ジャニ∞のメンバーとして渋谷すばるの人生を生きていく覚悟を決めたんだな、という気がします。
それは関ジャニ∞にとってこれ以上ない希望だと、私は思います。
でもだからってすばちゃんの根本って本当に変わらなくって。
今回、FIGHTのDisc2のソロ「あ」ですばちゃんは「感謝」を歌っていま。
ただただ「ありがとう」という曲。
でもあの曲は別にファンに向けられたものでもない。
ただ現象を歌っただけの曲なんじゃないか、と思うのは私だけでしょうか。
すばちゃんの中に存在しているもの。
それは間接的にはファンに向けられたものかもしれませんが、あの曲は別に「eighterへの歌」じゃない。
そういえば、すばちゃんにとってのeighterってなんだろうっていうのはずっとわかりません。
基本的に彼がありがとうと言うのはeighterが何をしたからとか、そういう事ではないんですよね。
「生まれてきてくれて」とかほんと、そういう事への「ありがとう」なんだろうなって。
なんか・・・。
そういう媚びのなさ、大っ好きです。
いや、ファンに感謝する・・そんな感情を媚びと呼びたい訳ではないです。
ただほんと「もっとうまくやればいいのに」それが出来ないっていうすばちゃんはやっぱり健在なんですよ。
「あるがまま」である事はずっと変わらなくて。
意識的か無意識的か。
相手にもそうある事を許してくれる、それがすばちゃんですよね。いいな・・・。
30ちゃいのすばちゃんは、本当に大人の男性で。
昔は渋谷すばるを好きになる理由の一つはその闇に寄り添ったり共感したり母性を感じたりという事だったかもしれません。
だけど今、彼は一人の男として私達の不安を飲みこんでくれる、頼りたくなる、惚れがいのある人になりました。
・・・いや。
すばちゃんってもともとそういう人なんですよ、絶対。
本気で悩める人だけが本当に強い人になれる、というか。
闇に対峙出来る人が弱い人のはずがない。
格好いいです。
渋谷すばる間違いない!
彼の「潔さ」が本当に素敵です。
ただ現実に生きる事はつまらないけど簡単です。
ただ願望を叫び続ける事は鮮やかだけど穏やかじゃない。
あんなにもしなやかに。
確実に両足できちんと立ってる。
その彼が関ジャニ∞に確信した、って言うんですよ。
エイトに明るい未来しか描けなくて困ります。
私はもっと自分の人生を充実させねばならんのに笑
明日から、ツアーが始まるのですね。
北海道はきっと空席も多いことだと思います。
それは仕方ない。
だけどきっと、きっときっと間違いない時間が流れるのだと思います。
いいなぁ。
北海道は無理でも頑張って福岡に行こうとすればよかったー!笑
楽しんでください、関ジャニ∞様。
楽しんでください、eighter。
最近、ついったでも「eighterってなに」「本当のeighterってなに」なんて事が話題になったりして。
うんざりして、別に私はeighterじゃなくてもいいですけどって気持ちになったりして。
あぁ。
だけど、私はすばちゃんの事を考える度に「eighter」でありたいって考えてしまうんです。
eighterがなにか、なんてわからないけど。
渋谷すばるにとってのeighterがなにか、なんてもっとわからないけど。
ただ一つわかる。
彼に叫ばれる「eighter」は幸せです。
最後まで、どうか怪我のないように。
どうか。誰にとっても後悔のないツアーでありますように。