やっぱり、関ジャニ∞の魅力を世界中に拡散する、なんて出来ないが

こんにちは。

先週ぐらいにブログを書きました。
こんなにすぐにまたブログを書きたくなるなんて笑
書き出すと楽しいんだよなぁ。

 

先週ぐらいにブログを書きました。
これ。

久しぶりにブログを書いたからあれこれも言いたいと思ってしまって、内容がかなりごちゃごちゃしたなと思っていて。
それでいて大事なことが書ききれなかったようにも思って。
補足というか、言い訳というか、今からそういうことを書きます。

 

えっと。
まず一つ目の言い訳は、
元も子もないけれど、「関ジャニ∞の魅力」を語ることに、かなり難しさと限界を感じる、ということ。
それは、結局関ジャニ∞はメンバーの集合体でしかなくて、関ジャニ∞そのものの実態なんて本当はない、と私が思っているからです。
メンバーはそれぞれの個性も考え方も違うから、それを「関ジャニ∞」としてひとまとめにして語るのはとても乱暴だなって思っています。

そういうことって前々から意識しなかった訳ではないのですが…。
でもすばる君・亮ちゃんのことがあって、ますます「メンバーはそれぞれ別の考えを持っている」という当たり前のことを無視できなくなりました。
だから、メンバーを一括りにする「関ジャニ∞」という言葉を使うこと、ましてそれを語ることに怖さを感じてしまいます。
そして、その上で何かを言うならば、結局は当たり障りのないことしか言えないんじゃないか、とも思っています。


言い訳の二つ目。
こんなことを考え出したのは大倉君の「世界中に関ジャニ∞の魅力を発信して」という発言が発端なんですが、
少し時間が経ってきて、徐々に冷静になってきました。
あのね、冷静になってきて、「あぁこれ今じゃないなぁ」という気持ちになっています。

だって今、関ジャニ∞のアップデート中じゃないですか。
これまでの関ジャニ∞とはまた違う関ジャニ∞をつくっている途中じゃないですか。

 
これまでの、7人の、関ジャニ∞の魅力は?と聞かれたら、
私はこの言葉を思い出します。

 5人の関ジャニ∞も全く別モノという訳ではないけれど、でももうこの関ジャニ∞ではない。
(何よりその言葉の発信主がもうここにいないし(;∇;))

じゃあ、5人の関ジャニ∞って何?という答えを私はまだ持っていないし、多分メンバーもうまく答えられないと思う。
だから何かを言うのは「今じゃない」「まだ違う」のかな、という感じ。


まぁそれでもなんか悔しいから書きますが。
 

そして、言い訳?補足?の三つ目。

関ジャニ∞は私に元気をくれる存在で、
それは関ジャニ∞の「ビジュアルのよさ」「一生懸命さ」「愛の深いとこと」「嘘のなさ」とかそういう力によるもの、みたいなことを思っていました。
それ自体はどれもこれも間違いではないと思っています。
でも1週間ぐらいしてみて、なんか偉そうに色々言ってるけれど、
関ジャニ∞のこの「わかってる気にさせる感」こそすごいんじゃ…という所に行きつきました。


ファンクラブの関ジャニ∞TVを毎日楽しみにしています。
(正直に言うと聞けてない・見てないものも多々あるけれど)

例えば平日朝の「関ジャーニ―」を聞いていると、
私はメンバーのこと「あぁ、この人達リアルに生きてる…」「この世に、ちゃんと存在している…」としみじみ思います。
関ジャニ∞メンバー達の超絶アイドルでありながら、
同じ星、同じ世界、同じ国に存在している「人と人同士だ」と感じさせてくれるところ、私はめちゃくちゃ好きです。
(もちろん同じ人同士と言っても諸々と天と地の差があるのは承知していますし、リアルに繋がりたいとかそういう思想は皆無です。)
で、こんな風に思えるのはなぜかといと、彼ら自身がめちゃくちゃ「等身大の自分」でいてくれようとしているからかなと思います。


関ジャニ∞の魅力は、
アーティスト・アイドルとその作品という「表」の部分と、
彼らが等身大の人として生きていることを感じさせるリアルである「裏」の部分、
その両方があるところなんだけれど、
でもね、関ジャニ∞ってそもそもそれを見せてくれる…見せようとしてくれていることこそが「すごい」んですよね。

前回も似たことを書いたけど、本当はここまで書けたらよかった。
 

ラジオや毎週更新の∞レンジャーの存在は大きいですね。
「王道の裏を行くアイドル」として、彼らは「素であること」「本音を話すこと」を選んだし、彼らだからそれが許された。
少し過剰なくらい…愚痴なども含め彼らはたくさんの本音を私たちに教えてくれました。
メッセージを発信する場があったし、そこで彼らが飾らない彼らでいてくれた。
(自担の安田君は自己開示は苦手だなと思うけれど、なんだかそれさえリアルだなと思っています。(甘いw))
メンバーでやり方は違うし、その意味合いはその時々で変わってきたけれど、でもそれぞれが「伝える事」がずっとしてきれていると、私は思います。
 

だから私は彼らのことを少しは「わかってる」と思えているし、アイドルだけど彼らのことを「人」だと思えてる。
そしてそんな彼らは決して完璧じゃないから応援したくなるし、目が離せないし、ここにいたいと思ってしまう。
アイドルを愛すことは、どうやったって偶像崇拝の域は出ないけれど、でもそれでも「共に生きている」とまで感じさせてくれたこと、これが関ジャニ∞の力だと思います。

関ジャニ∞、メンバーが生み出す「作品」を味わうことと、
関ジャニ∞メンバーの「人」を愛してしまうこと、
そして、作品とメンバーの人となり(人生)が交差するような瞬間…「この時、このメンバーだからこそ生み出されるこの作品(瞬間)なんだ」という奇跡を目撃すること。

このどれもがかけがえのないことですが、「人」の部分を理解し愛させてもらってることに、本当に「ありがとうなぁ」という気持ちです。
 

まとめると、
前回関ジャニ∞にすごく元気をもらっているし、それは彼らにいいところがたくさんあるからと書いたけど、
「彼らがファンに懸命に「伝える」をしてくれているところ」がそもそもめちゃくちゃ魅力だよなっていうことです。

これが言いたかった。
 

すばる君の卒業を受けて、
大倉君が「自分は最後まで納得できなかった」みたいに思ってくれたことを教えてくれたこと、それでどれだけ心が救われたか。
5人のぼちぼち大切な夜で、それぞれ本当にしんどかったと教えてくれて、それでどれだけ安心したか。

(もっと言えば、すばるや亮ちゃんの卒業も、ものすごく寂しいではあったけれど、私は「裏切られた」とは思えなくて「あぁこれはもう仕方ないことだ」と直観的に理解できたのは、普段から彼らが自分自身のことを率直に伝え表現し続けていたからこそかなと思っています。)

変な言い方だけれど、私は彼らが伝えてくれるる彼ら自身のおかがで、こうしてファンを続けることが出来たんだなって改めて思います。


さて。

「伝える意志の強さ」が関ジャニ∞の魅力だとして。
彼らってピンチの時こそそれをやってくれる人達だなと思います。
だから、5人になるという関ジャニ∞の最大のピンチ、コロナウィルスで世界が未曾有の事態にあるピンチは、彼らを強くさせるし輝かせるのかなと思います。
だからやっぱりますます彼らを愛したいし色々と期待をしています。

それはとてもとても皮肉だし、本当はそんなことはなければよかった、と思いますけれど。

 

言い訳とかいいながら、なんとか自分の想いを残したくてダラダラと文章を書いています。でも形を表そうとするほど遠くなっていく気がしますね。
他のグループや何でももそうだけど、その実態のなさこそ面白さだとも思うし、
オタクの数だけ色んな視点で見ることができる、その可能性こそ魅力だよなと思います。
まぁ結果、やっぱり実物を見るに限るし、色んな人が色んな彼らを知って色んことを色々表現することが楽しいよな~っていう。

 
またすごく長くなった(でもこれでも4分の1ぐらい削ったw)割に当たり前の結論に辿りついてしまいましたけれども。
でも、何を書けるかはさておいてブログを書く事自体はやはりとても楽しいなと思いました。

おしまい。