よこひなのこと

askさんで質問を頂いて、回答したやつ。


ヨコさん担当でも、ヒナ担当でもないので、
無責任なこと書くべきじゃないよなって思いながら、結局好き勝手書いた。


ヨコヒナとはどのような存在だと思いますか。先日のマコさんのヨコヒナの役目についてのツイートが、とても心に残っています。マコさんの考えを聞かせていただけたら嬉しいです。

質問ありがとうございます。
少し前に8周年というところにきて「ヨコヒナ」が役目を終えたというツイをしました。
多分、この事を仰っているのだと思います。


今までのヨコヒナの役目は、大雑把に言うと「eighterの一番信じてるもの」だったと思います。


一つは、最も頼りになる存在という意味で。
もう一つはその関係性について。


リーダー的というか、
二人がグループを引っ張ってくれていたこともあるし、レコメンの存在もあるし、
困った時やいざという時はこの二人がなんとかしてくれる、と思っていました。

それぐらい「ヨコヒナ」は間違いない、と。
そういう信頼もあるし、三馬鹿もですがやはりヨコヒナの持つ物語というのは、
腐じゃなくても運命的なことを信じたくなる。
その結びつきの強さ、互いへの影響力の大きさはというのは、
関ジャニ∞へのヲタの「コンビ信仰」の礎であったと思っています。


関ジャニ∞渋谷すばるありきだと思うのですが、
ヨコヒナがあって、関ジャニ∞は始まったのだと思っています。
(つまり三馬鹿・・・!)

ヨコヒナがエイトをはじめたし、エイトをつくるし、エイトを守っていくし、エイトを大きくしている。
関ジャニ∞のすべてはヨコヒナによってって左右するんだ、ぐらいの。

と、いう役目が今は終わったんだと思います。
(もちろん完全に終わってしまった訳ではないのですが。)



それは関ジャニ∞というグループが大きくなったから。
何より他のメンバーがものすごく成長をしたからです。
そして、ヨコさん・ヒナちゃんがそれぞれに成長したから。

ファンもメンバーも随分ヨコヒナを、そしてヨコとヒナを頼り、そして縛ってきたなぁとしみじみと思います。
それによって二人も救われたり部分もあるんだと思いますが、
でももうそういう時期じゃない。
そう、思います。


これ回答したのが2013年12月ですって。
約1年ちょっと前。


これが最近のやつ。




人がヨコヒナを求めるのは何故ですか?

回答が遅くなり申し訳ありません。
過去にヨコヒナについて質問を頂いたことがあります。
よろしければこちらを先に見て頂けると幸いです。
http://ask.fm/a/a042io9n(上に書いた記事)


関ジャニ∞におけるヨコヒナというのは言わずもがな、関ジャニ∞の2本の大きな柱です。
コンサートのMCで両端に位置する姿が象徴的ですが、
グループ全体を回し支え笑いを起こし、グループのイメージをつくり、
関ジャニ∞を世界に売り込んでいく存在。


数年前は告知などでバラエティに出る時も必ずヨコヒナのどちから(もしくは両方)+メンバーとう組み合わせでした。
また、コンサートのセットリストや演出もはじめはこの二人を中心つくり上げていたりとか。

まさに、関ジャニ∞という家族のオトンとオカン。
この二人がいて「関ジャニ∞」となり、歩を進めることが出来る。
そんな存在だと思っています。


これは当時の露出や能力が他のメンバーより高かったというのありますが、
何より関ジャニ∞というものに腹をくくった、このメンバーで芸能界という世界で戦っていく覚悟がはっきりとあったのがこの二人だったからだと思います。


また、私はコンビとしてのヨコヒナ、ヨコさんとヒナちゃんそれぞれにとってのヨコヒナというのも、とても求めてしまいます。

私などが何かを言うのは恐れ多いのですが、
やはりヨコヒナの結びつき、互いの影響の大きさは特別だと感じます。
そこに大きな物語を想像するし、それを奇跡と呼びたい衝動にかられる。

他にはない。
少なくとも私はこれほど複雑でいて美しい関係を他に知りません。


それは、関ジャニ∞にとても深く結びついています。
入所日が同じということもあり、ジュニア時代から近い関係にあった二人ですが、
渋谷すばると共にし、関西ジュニアを背負い、
デビューした関ジャニ∞を背負い…
というところでますます信頼を高め、反面こじらせていく。

ヨコヒナがヨコヒナでなければ、関ジャニ∞関ジャニ∞ではなかっただろうし、
関ジャニ∞関ジャニ∞でなければ、ヨコヒナはヨコヒナではなかった。

例えば、背中合わせで同じ敵を打つ時、
絶対にヨコヒナは負けない。みたいなイメージが私の中にあります。
この「背中を預け合う」の尊さとか重みとか。

他でもない互いのかけがえのなさがヨコヒナで、
じゃあ、二人がなんのために戦うのか、という理由はいつでもメンバーだったり関ジャニ∞自体だったりする。


人がヨコヒナを求めるのは、
「ヨコとヒナの関係性にこの上ない物語を求めてしまうから。
それは関ジャニ∞があって生まれたものであり、関ジャニ∞の物語を生むもの。」だからではないでしょうか。


ヨコ・ヒナどちらの該当担当でもないけれど、関ジャニ∞ヲタである以上、
ヨコヒナに萌えずにはいられないし愛さずにいられないし。
尊さを感じずにいられない。




しかし、最初にあげた質問の回答に書いていますが、
そんな「ヨコヒナ」の役割は数年前よりはとてもやわらかないものになりました。

ヨコヒナを考えると私の中のイメージは上記のようなことで間違いないし、そんなヨコヒナが大好きです。
しかし、これはヨコさん、ヒナちゃん個人にも言えることですが、
今はもうヨコヒナがヨコヒナを関ジャニ∞に全てを捧げるべき時期ではないと感じます。

関ジャニ∞のヨコヒナのその立ち位置が変わってきたいま、
ヨコ・ヒナにとってのヨコヒナがいまと別の形であってもいいなと思います。


余談ですが、ヨコヒナって前はもっとレアなものでしたよね。
レコメンでは毎週ずっと二人で時間を過ごしていたけれど、
互いのことをどう思っているのか、なかなか聞けなかったように思います。
「ヨコがいなければ今の自分はいない」ということをヒナちゃん自身から聞けた時は少なからず衝撃でした。
絶対的にそれがあるのに、それをわかりやすく示されることはなかなかない。


あのもどかしさ!だってそこにあるのに!っていう。
今はヒルナンデスだったり、キスだったり、
「ヒナ、いつもありがとうな!」だったり。
ある程度の供給があるように思いますが、
私がこんなにヨコヒナを求めてしまうのは、ヨコヒナはレアという刷り込みが今も強く残っているから、というのも大きいように思います。


だらだらと書いてすみません。
こんな感じで回答になっているでしょうか。

これが2015年3月。



私の中にいるヨコヒナはすっごい古いし、
いつかのイメージで凝り固まったままだなぁと思います。
それをわかりながら、正直いまのヨコヒナがよくわからなくて、
こうして私の中のヨコヒナを強引に言葉にしてしまいました。
恥ずかしい。

思えば私の中のエイトの多くはいつかの時点で止まっているのかもしれない。
勝手な像を押し付けないようにしなくてはと思いながら、
いまの彼らを見つめること見つけることを放棄しがち。