あの日から一か月
今日は2019年9月16日なんですが。
色んなことがあり過ぎて頭と心の整理がつかないのだけど。
すばるのことが整理できないまま、
亮ちゃんがいなくなって関ジャニ∞は5人になって。
このブログで綴ってきたことももう全部が「過去」であり別の物語だなと思うと虚無虚無の虚無なんですが、
それでも「その時の気持ち」を残すことは無駄じゃないと思いたくて。
すばるの発表の一か月後ぐらいに書いたメモがでてきたのでここに残しておきます。
今読むとこれもまた「過去」になっちゃったな・・・
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4月15日に、
すばる君がジャニーズ事務所を辞めるという発表があってから、約一か月が経った。
あまりのことに何も考えられなくて。
でも、こういう時のために私はブログをやっていたんじゃないかと思って。
何かを書こうと思った。
でも、書こうと思ってから一か月が経った。
時間を置けば自分なりに何かがまとまるんじゃないかと思ったけれど、(いつもがそんな感じなんだけど)
今も何もまとまったりしない。
これはもうまとまるとか、
まとまらないとかそういうことじゃないなと思って。
もう、思うままに、書こうと思う。
一方を知った時、
そして、いま、一か月経って思うことは、
単純に「嫌だ」と、結局これしかない。
すばる君のいない関ジャニ∞?
すばる君のいない三馬鹿?
すばる君のいない安田くん?
なにそれ。
そんなことはありえない。
嫌だ。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
当然のように、
それはあまりに当たり前にそこにあって。
感覚で言えば、
地球が割れても、エイトはエイトなんじゃないかと、
このメンバーでいるのだと思っていた。
本当を言うと、
私はもう関ジャニ∞のヲタクを卒業するのだと思っていた。
仕事が忙しいだとか、
プライベートで恋人ができたことだとか、
実家の家族のことがバタバタとしていたりとか。
「忙しくて」「エイトに時間が避けない」と思っていたけれど、
それは自分に対する言い訳で、
単純に自分の関心ごとの割合が変わったのだと思う。
エイトが世界のすべて、と。
そう本気で思っていたことがあった。
私が生きて、生活をするすべての基準は関ジャニ∞だった。
いま、こうして「関ジャニ∞だった」と過去形で書いてしまえるぐらいは
私にとって、エイトはもうすべてではない、と思う。
ファンになってもう13年ぐらいだろうか。
高校生だった私は、もうすぐ30歳になる。
一番頭がおかしいぐらいにエイトにハマっていた大学生ぐらいの時の私に、
「あんた、いつかエイトの熱がほどよく落ち着くよ」と言っても、多分信じないと思う。
そんなことはありえないって言うと思う。
でも、私がエイトのヲタであるのを卒業する、
そんなありえないよりも、
今回のことはもっと、ありえない。
私がここからいなくなっても
関ジャニ∞は関ジャニ∞だと思っていた。
空が青いとか、
酸素が据えるとか、
両足で歩けることだとか・・・
いや、何かがなくなるということじゃないな。
実は私を育ててくれた人は本当の親じゃないよって知ったような、
私の幼馴染の友達が実は存在してないって言われたみたいな。
私の世界そのものがグラグラとするような、
何を信じて、何を感じて、何を考えたらいいのか…そういうことがわからなくなる。
そんなことが、いま、起こっていると思う。
だから、
前向きになろうとか、
別の何かに気を紛らわそうとか、
新しい関ジャニ∞に期待することを考えてみようとか、
そういうことができない。
関ジャニ∞が関ジャニ∞だから、
私は私だから、だから、私は彼らから卒業ができる。
いま、そんな判断も心の動きも、なにもない。
当たり前のことが当たり前でなくなって。
私が私でなくなってしまった。
それぐらいの感覚で「ありえない」のに。
でも、どこかで今回のことを必然だ、と思っている気持ちがあって。
それが、とても悔しい。
すばる君は、
だってすばる君だから。
その才能が関ジャニ∞にとどまっていられないことも、
嘘がつけない彼が、
彼の思う誠実の在り方でこういう方法をとったことも、
それを最終的に許すしかなかった他のメンバーのことも。
とても「らしい」くて。
すばる君のためならどんなことでも厭わない6人なのに、
そんな6人を自分の夢に巻き込むことができなかったすばる君。
自分が愛されている事を知っている。
それなのに、だからこその選択。
ずるい、本当にずるくて、ひどい男…
でもだからみんなが惚れてしまう、
愛さずにはいられない、そんな彼がここからいなくなってしまうなんて・・・
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とここまで書いて途中で終わってた。
どうまとめていいかわからなかったんだろうな・・・
いまもどうまとめていいかわからないけど・・・
(そんなもの公開して申し訳ない)