記憶/ココロオドレバ

味園ユニバースを見てきました。
そして、記憶/ココロオドレバの4曲をエンドレスリピートしています。



渋谷すばるってすごい人ですね。
ほんと、すごい人に出会ってしまっていたんだなって。



映画はどう受け止めても、何をきりとっても「渋谷すばるの映画だな」という感想ですが、
エイトヲタな私は、カスミがポチ男を調べていく内に茂雄のことを知っていったり、
ポチ夫の記憶が戻ることがポチ夫がどこかに行ってしまうような気がする、みたいなところに、
すばるのことを知っていく内に、本当の彼がどこにいるのかわからなくなったり、
こうして世の中に見つかってしまうと関ジャニ∞はどうなるのか、みたいな気持ちを重ねました。
切なく重く、そしてこの自分勝手な感情に落ち込んだりして。


関ジャニ∞の中にすばるがいる事が、夢だったのではないかと。
「アイドル」である彼は、本当の彼であるのかと。



そういう風に途中まで悶々としていた訳ですが、
映画を最後まで見終わって、このシングルを延々と聴いてると、
全部「しょーもな」って思えてきますね笑


何にしがみつくのも格好悪いなー。
頭で考えて理屈こねても、そんなの意味ないなって。

全部を越えていくのが渋谷すばるで、その音楽だな、と。




すばちゃんが一人で活躍することは、エイトは、その時安田は、って頭で考えてるくせに、
だって、このシングル4曲を聴くのをやめられないし、
これをもっともっと色んな人が知るべきだと思うし、
もったいないし、エイトヲタだけが抱えていい贅沢じゃないなと思ってしまうし。


彼の声は、音は、渋谷すばるというひとは。

理屈を奪う。
私を感情と感覚だけにしてしまう。

もっともっとって思わせられて、それだけになってしまう。


この音楽に出会わせてくれてありがとう。
こんな特別なものを教えてくれてありがとう、すばるくん。






この音を聴くために、なにもかもをなくしてでも、と思えるほど。

でも、聴けば聴くほどに
すばるの中に関ジャニ∞を見つけてしまう。
勝手に不安になって勝手に「大丈夫」と思うなんて、迷惑な話。


でも、そう思った。
彼がエイトでなければ、今の彼ではなかった。
彼がエイトでなければこの映画もこの音楽もなかった。
エイトがいまのエイトでなければ、なにもなかった。
そういうこともあるし。

この「手段の選ばなさ」がとてもエイトらしいなと思えてしまう。
作品に「ひと」が透けてしまうところも、らしい。
ひとつの作品や世界に、切なさやどうしようもなさやあたたかさや美しさがぎゅーぎゅーと詰まってるのも、また。




関ジャニ∞の中におさまっていていい、彼ではない。

私は他担だけれど、これを強く思うし大きな声で主張したい。


その事にさみしく思ったりするのは違う。
だって関ジャニ∞渋谷すばるだから。

その事を申し訳なく思うのも違う。
だって関ジャニ∞渋谷すばるだから。





彼が羽ばたく事でエイトが変わることを、不安に思って、
なかなか映画を積極的に応援出来なかったり、ソロツアーに前のめりになれなかったり、
なんならシングルもラジオなどで一度も聴くことなく映画が初聴きだった私ですが。

映画とソロ曲達を聴くほど、
この音楽に出逢えた幸せには、多少の代償があってもおかしくない、それはなんだろうとむしろ、わくわくとしている。
すばるがこれをやるなら、他のメンバーはどうやって何をぶち壊してくれるかな!ということも楽しみだったり。

がちがちに凝り固まった固定概念で想像する「関ジャニ∞のために」なんて、ほんとくだらない。
そして、そんなことでどうにかなってしまうエイトではないよ。
あなた達はもうそんな所にはいない。
そのための10年だったと、思う。

結局は関ジャニ∞のメンバーでしかない、ということじゃなくて。
グループが個人がもっと自由であるための場所であるように。
映画を見て、シングルを聴いていて、こんな風に思えるとは……なぜか全部ひっくり返されてしまってる。

不思議です。
すばるくんの音楽の力に全部をほどかれてしまいました。


不思議です。
この映画とシングルですばるくんを摂取するほどに、素直になればなるほど、関ジャニ∞への熱があがってあがってたまりません。

ソロ活動に対峙して、
こんなに自分勝手でわがままになってしまうのはすばる君に対してだけかもしれない。
「さらけだせ」と言われて、本当にその通りにしちゃう。
ほんと、罪つくりな男。