2016年1月
今日は2016年1月31日。
1月の最後の日です。
うん。
1月、色んなことがありましたね。
大きくはSMAPさんの報道、そして大倉君不在のツアーオーラス。
あとは、クロニクルお正月SP、リサイタルDVD発売や、すばる君のソロ活動詳細発表、イフオアの発表とか。
それも年末の紅白、カウコン、田口くんのことの余韻もうまく消化できていない中・・・。
個人的にも色んなことがあった時期でした。
前に書いていた転職活動をやってたり、会社に退職を申し出たりとか。
私事のことは自分の整理のために、またちゃんと書こうと思うのですが。
この1月に度々、考えていたことは、
アイドルってなんだろう、芸能人ってなんだろう、ということでした。
そしてそのど真ん中にいるエイト、そのメンバー。
「その立場」にある彼らをなにを思っているのか、ということ。
自分は彼らになにが出来るのか、できているのか、とか。
私にとって彼らはなんだろう、とか。
考えて答えが出ないことばかり。
それでもやはり考えてしまう。
アイドルってなんだろう、
この人達はなんだろう。
ひとつ、
この1月にものすごく印象に残った言葉があります。
それは元気が出るツアーのオーラス。
この日、腸閉塞のため大倉くんが不在。
あの公演を、一言でそれはどういうもの、と言うことは難しいです。
とにかく大倉君がいない寂しさを感じました。
メンバーが一人でもいなければ、エイトはエイトでないと感じました。
そして、
「メンバーがいない」そんな過去を、彼らはずっと背負っていること、
そうして、今があることを思いました。
そういうやりきれない感情の反面、
不遇の中であれこれと全力をつくす他のメンバーに対して、
プロの対応力や、それぞれの役割を全うする頼もしさを見つけました。
また、彼らの「想い」をたくさん感じました。
大倉君に対しての想い。
ファンに対しての想い。
関ジャニ∞というものへの想い。
そこにある強い愛情。そして責任。
そんなものを、感じました。
このようなことが起ったことは残念だし、
それでつらい思いをした大倉君担さんが大勢いたことも事実だと思います。
だから今は、この出来事をどう受け止めればいいのかとても迷います。
そんなコンサートの最後の挨拶。
これがとても印象に残りました。
今回のツアーでずっとそうだったように、その担当はすばるくんでした。
盛り上がってくれてありがとう。
大倉もありがとうって言ってますよ。
今日はこういう形だったけど、
6人やろうが7人やろうが8人やろうが、
こうして見せたものが全て。
関ジャニ∞っていうものをもっと大きく広くしたい。
楽しいことをこれからも。
そんな事を言っていたと思います。
その中で、頭から離れない言葉があって。
今日はかなしい思いをした人もいると思う。
それでも俺らはみんなの前に立とうと決めたんで。
でも、ごめんなさい・・・。
この言葉を口にした時に、すばる君は涙を見せました。
堪えていたものが溢れ出た、という印象でした。
そこには申し訳なさ、悔しさ、怖さ・・・色んな感情があったのだろうなと思います。
オーラスから少し日が経ちました。
大倉君が復帰して、生放送ラジオでも快調を伝えてくれて、
だんだん平常が戻ってきているように思います。
でも。
この、
「俺らはみんなの前に立とうと決めた」という言葉が、
ずっとずっと、心から離れません。
彼らの仕事はなんだろうと、考えています。
端的なことを言えば、
「みんなの前に立つ」、その姿を晒していること。
これが全てなんだな、と思いあたります。
そしてファンは、「それを見ている」。
そういう存在、そしてその関係なんだな、と思います。
もちろん、
求められていることをやる、とか。
ビジュアルやパフォーマンスでひとを喜ばせるとか。
そういうものがアイドルの仕事だと思うけれど。
その大前提に、「見る」「見られる」ことがある。
他の芸能の仕事もそういう側面はあるけれど、
演技や歌や、「作品」が見られている対象であることが多いのに対して、
アイドルはその関心を、その人自身に持たれる。
「そうして見られていること」がアイドルなんだな、と思います。
率直に、それって大変なことだな、と感じます。
ものすごくこわいことだなって。
でも、それが彼らの仕事です。
そしてエイトに関して言うと、
彼らはとっくにその場に立つことに覚悟を持っている、んですよね。
今回、すばる君の挨拶がこんなに印象に残っているのはその覚悟を目の当たりにしたからだと思います。
格好いい、です。
でも、あの涙に、
その場に立つその大変さ、
例えば彼らが手放したものや引き受けるものの大きさを見ました。
だから・・・
「ありがとう」しかない、です。
そこにいてくれてありがとう。
その場に立っていてくれてありがとう。
いつも、その姿を見せてくれてありがとう。
と。
こんな風に沸々と想いを募らせたいのだけど。
アイドルというか、Jの事務所には、
彼らの意志や想いとは全く別の思惑や動きがあるわけで・・・。
あのSMAPさんでさえ、
身動きがとれなくされてしまう。
彼らは、アイドルは、そしてジャニーズは、
なんて儚くて危ういんだろう・・・って、思ってしまう。
あの危うさの中で、
それなのに全身全霊の「覚悟」を持つ彼ら。
それをどう受け止めるべきなんだろうって考えています。
それに対してファンはどうあるべきなんだろう、とか。
うーん。
むずかしい。
でもね、
この娯楽の世界で、そういうこと(〜すべき、こういう姿勢でいるべきとか)を考えるのって、
なんだかとても不健全だし、つまらないな、と思ったりします。
アイドル側もそんなことを望んではいないだろうし。
ファンは身勝手でいい、と思っています。
身勝手で、というか、自由でいていい、と。
(もっと言えば、タレント側も身勝手でいいと思っている)
長々と書いてしまってすみません。
結局、願うことは
私の大好きなひとたちが、
ずっと笑っていますように。
ずっとずっと幸せでありますように。ということ。
そして、
私はできる限りそれを見ていたい、です。
彼らが永遠を望むなら、それを信じるオタクでいたい。
当り前のことは当たり前じゃない。
それを忘れずにいたい。
でも、そのことをこんなに切実にひしひしと感じる毎日はちょっとしんどい。
はやく「なんでもない毎日」、になればいいのに。
なんて。
勝手なことを思います。
そんな2016年1月のまとめ。