おおくらくんのこと

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2014年5月1日に回答しました

大倉くん変わったなあ(いい意味で)と思う所が多くなりました。昔はよくデクノボーとかもっとしゃべれとか横山くんに言われてたし、笑ってるだけな印象だったんですけど、気付いたらすっごくおしゃべりで歳上組をガンガンイジったりしてて関係性変わったんだろうなあと思いました。単純に時間の経過もあると思いますが大倉くんの中で何が変わった、又は誰が変えてくれたのでしょうか?マコさんが思う昔のエイト内の大倉くんと今のエイト内の大倉くんが変わった理由を教えてください。わかりにくくてすみません!



回答が遅くなり本当にすみません!!

私などが大倉君についてどうのこうのと言うのはおこがましいですし、
実際のところどうか、なんて本当にわかりません。



私が見ててぼんやり思ったこと、
勝手な物語として受け流してくださいね?


えーと、
私の印象では大倉君って、昔から結構おしゃべりです。

MCとかバラエティではそういう所はあまり見せませんでしたが。
所謂「OLトーク」というのでしょうか、「しゃべり」は苦手かもしれませんが「おしゃべり」は好き、という印象です。
例えばラジオでは昔から割とマイペースに話をしています。



それが表に出るようになったのは2008〜2009年でしょうか。
もちろん明確な所はわかりませんが、なんとなく想像してしまう理由が2つ。


一つは、大倉の中で「人に任せているだけではいけない」という想いが生まれたこと。
関ジャニ∞はそれぞれに役割分担がはっきりあるグループですが、
以前はその分担が今よりもとても露骨でした。はっきりしていた。
ヨコヒナはバラエティ、すばるは音楽、錦戸大倉は格好いい班で、とか。

逆に言うと、その部門の担当外のメンバーはなにもしない、という状況がありました。
ヨコヒナは音楽部分は最低限しかやらなかったし、
大倉はMCでほとんどしゃべれなかった。


大倉の中にそれじゃいけないという想いがどこかのタイミングで生まれたのだと思います。
その理由はわかりません。
ただ、この「このままじゃいけない」を一番に感じていたのは大倉ではないかと、私は思っています。

それが後々グループ全体に波及していきます。
MCで全員が話すようになった、とか。ヨコヒナが音楽に参加するようになった、とか。



ご質問の回答と少しズレるのですが、
大倉がMCでしゃべり出したことは、今回のツアーのヨコさんのトランペットと同じように
(ヨコのそれの影響はまだ顕著には出ていないけど)
ものすごく色んな影響をグループに与えたと思います。


それは、俺も頑張ろう的な素直な同調だったのか、ある種の危機感によるものだったとかはわかりません。
本人にどこまで狙いと自覚があったのかわかりません。
でもあのタイミングの大倉の選択、はグループ全体を成長させてくれたと思っています。




それぐらい大きな出来事なんですが
(と、私は思っているのですが)、
大倉がポジティブな意味で「(グループの成長のために)このままじゃいけない」とか思ったのかもしれない、というのと同時に、

ものすごくネガティブや諦めに近い感情で「このままじゃいけない」と、
思ったんじゃないかとも少し思います。


大倉がいつから「格好いい担当は錦戸だけでいい」と思っていたのか定かではないのですが、
(この発言すごく根に持っている。すごく腹立つんですが)
格好いいとか、アイドルという立ち位置だけの自分に不安を感じたのかもしれません。

おもろ格好いい「関ジャニ∞」の中にいてただのデクノボーでいていいのか、とか。
当時の大倉がそういう事をネガティブにぐちぐち考えていたとしたら、個人的にはちょっと萌えます。すみません。


まぁ、たまたまMCでしゃべったら、すごいウケて嬉しかった、とか。
そんなんかもしれません。


あぁ、そうだ。
ここ最近の大倉君の歳上(主にヨコさん)イジりは、単純に、「もっと踏み込みたいから」に見えます。
もっと知りたい、もっと知ってほしい、構ってほしい、みたいな。

困らせて喜んでる。
ああいう時の大倉君はとても無防備というか、ちょっと心配になるぐらいなんですが。

メンバーのプライベートは仕事中のトークやMC上じゃないと聞けないとか言っていた、数年前のヨコさんを思い出します。
MC中なら何を言っても許されるという事を大倉君も知ってしまったのでしょうね。
(いや、全てのことがちゃんと「ファンを楽しませるため」に
 着地出来てるあたりさすが大倉と思っていますが)



すみません。
回答になっているでしょうか。


「誰のおかげ」という部分を考えると、やっぱりヨコさんとヒナちゃんのおかげだと思います。

大倉君はエピソードは苦手です。でも一撃必殺はとても大きい。
MC中のそういう在り方の大倉君を、穿った言い方をすれば「許している」のはヨコヒナなので。