酔っ払いの日
前のブログから転載
2013年6月10日に書きました。
ややこしいのですが、
2013年にブログをアップしたけれど、
中身は2012年の秋に書いたもの、らしい。
――――――――――――
わはは。
今、2013年6月10日の早朝なんですけど。
久々にブログを更新したので、
なんとなくアップしてない下書きの記事を見てたらおもしろいものを見つけてしまった。
自分で書いた文なんですけど、
こりゃ完全に酔って書いてたなっていう。
すっごい中途半端な所で終わってるんですけど、
おもしろいからこのまま上げてみよう、と。
ほんとに中途半端なとこで終わりますけど。
2012年11月14日、いったい何があったんだ!笑
↓
ごめんなさい。
久しぶりのブログ更新をこんな風には使いたくなかったのだけど。
愚痴を、言わせて下さい。
たった、一つの結論を言うために
他の全てのものを無視するのは・・・やめてほしい。
あなたの大好きな彼の逆境がどんなものか、
確かに私は、
具体的に知ってはいないし目を逸らしてた部分もあるけれど。
安田が、他のメンバーが何の痛みも背負ってない、と思わないでほしい。
本当を言うと、今の関ジャニ∞を・・・
例えば今回のツアー、そしてセトリに納得出来ない私がいます。
そこには「いま」しかなくて。
一緒に抱いてゆきたい未来や夢があまり見えなくて。
8周年を大事にしたい気持ちはわかっていて。
でも、じゃあこれからどうするの?ってそこに核心を持てなくて、
今まではあまりそういう事を感じたことがなかったものだから、
「どうするの」って不安や、もっと言えば苛立ちが無い事もない、です。
でもそれはきっと「いま」はわからなくて、
例えば来年になってみれば全部が杞憂だった、なんて可能性もあると思っています。
いまは、いまについてなにも言えない。のが本当のところ。
でも、それでも。
「いま」の彼らに、8周年・・・ここまできた彼らに。
本当に誇らしいという気持ちを持っていて、
少し前の記事にも書いたけど、そこに寂しさがない訳じゃないけど、でも、嬉しくて。
それは、なにより、
ここにくるまで、本当に、色んなことがあったことを少しはわかっているからです。
とか思っては図々しいですか。
安田は。
安田はいつもニコニコ笑っているし。
何も考えていなさそうだし(実際になにも考えてない場合も多いでしょうが)
確かに色んな面で、恵まれている人なのかもしれません。
彼はきっといい家庭で育っただろうし、
エイトの中でも割とデビュー前もずっと安定した位置に居続けていたし、
例えば身体能力や、音楽的な部分、器用さも含めて他より才能を持ってる人かもしれません。
愛される能力も長けてる、
愛す能力も長けてる。
そうかもしれません。
そうだと思います。
7年見てきて、そう思います。
でもね、
安田だって痛みを、十分に背負ってきたと思っています。
色んなものを諦めてもきたし、色んなものを背負ってきたし。
器用だから、とか。
才能があるから、とか。
愛される人間だから、とか。
そういう部分で、そういう事で・・・安田はいっぱい苦労したんじゃないかって。
それは人から言わせれば贅沢なことなのかもしれないけれど、
でも本人からすれば、懸命に、
なんなら人から理解されづらい部分なだけによりしんどい想いをして、
やっと消化して、もっと言えばそれらも今も引き連れたまま、今ここに立っていると私は思っていて。
私は
誰かが、例えば担当や想いを傾けるその人の対して、
ご自身の言葉で想いを綴るような文章は好きです。
それが私の意見と少し違っていても、それは気にしないし、
むしろそういう考え方も出来るのだなって思えるのが嬉しいです、よ。
でも。
そのメンバーがたった一人で苦しんできた、という物語はどうも受け入れられませんでした。
誰か一人のために全員が、という言い方は出来ませんが、
グループがグループであるために、より上を目指していくために、
メンバーの全員が同じぐらいに傷を持って、痛みを持ってきたんだと思っています。
誰かの痛みはそれぞれの方法で全員がわかっているし、
だからその部分を支えるために、それぞれが手を差し伸べたりフォローしたり。
という事を自然にやってきたのが彼ら、関ジャニ∞だと思っています。
確かにそれが正しい救いだったのか、なんてことはわかりません。
色んなタイミングでいろんなことがあったのだから。
はっきりわかることは、今の関ジャニ∞を見て、感じることだけです。
でも、それも全部がファンの主観でしかありませんけど。
わたしだってそりゃ。
メンバーに、本当はもっともっとって言いたい。
ある意味、ファンは彼らに「もっと」と言うのが仕事、という部分もあると思っています。
だから、それをやりたい。
だけどそれが出来ないのは、
ここまでくるために背負ってきたものと、その痛みを多少は知っているからで。
「何か」を求める事が諸刃の剣になるんじゃないか、と。
いや、もちろん個人の言葉や考えにそういう力があるとは思っていないのだけど。
自分がそれをしたくない、というか。
何かを求めることを、それが正しいと信じられない部分が大きい。
そういう自分がいます。(私の場合は。)
でもそれは、彼らのことを信じてないとかそういう事じゃなくて。
やっぱり私は彼らに、安田に、過去といまを見てしまうからです。
私は私なりに安田担をやってきて。
安田がここまでくるまで、の物語を持っています。
それが合ってるかどうか、は知りませんし重要なことではありません。
私が勝手に、ただ、持っているだけのものだから。
でも、なんだか安田がただ恵まれてる子、と認識されるのは・・・
ごめんなさい。
それは我慢が出来ません。
エイトが8周年を迎えて、その一年が終わろうとしていて。
コンサートやくらすます・・・そして安田の個人仕事の情報を経て、
色んな方が色んなこと思うのはいいことだと思います。
いいことっていうか、まぁそれは自然の流れというか。
今までよりは未来がぼんやりしてる(と、わたしは思ってます)彼らに、
それぞれが・・・それぞれの「eighter」が色んなことを考えるのは当然のなのかもしれません。
でもなんかさ。
自分とこの人だけが、みたいなのはさ、なんかさ。(←ここが愚痴、ここが言いたかった笑)
「いま」がある必然。
今の関ジャニ∞、そして個人の状態がいいとか悪いとか、そういうことを、
確かに思うし、私もそういうことを言うけれど。
でも
↑
はい。
ここで切れてました笑
酔った勢いでワーーーと書いたんだろうけど、
次の日に読んで恥ずかしくなってアップしなかったんだろうなぁ。
勢いなくしてこの続きは書けないだろうしなぁ。
いやー、なんだか知らないけど笑ったわ。
おもしろいから上げちゃうけど、許せあのときのわたし。