震災のあとの「レコメン」

前のブログから転載
2011年3月19日


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レコメンを聞きました。

ニュースや曲が間にあったとは言え3時間、ヨコとヒナちゃんやりきりましたね。




レコメンの感想、それに付随した想い、+α書きます。




なんか・・・

「今考えるべきことじゃないだろ」って事ばっかり考えてる気がしていて
だけど「今考えるべきこと」が何なのか正直わからなくて、

今書こうとしてる事は気の紛らわせかもしれなくて、

えっと、そんな感じのことなので読まなくていいですよ苦笑





追記に。

自己責任で読んでくださいね。
(ちょっと長くなってしまいました汗)







批判を覚悟で言うと、
私は二人の言葉に全て賛同出来た訳ではありませんでした。

と、言うのも


やっぱり前向きな言葉が人を責める事を思うから。





だけど3時間。

二人が自分の言葉で話してくれた事には意味があると思いました。




その話題をよけた放送をすることも可能だったと思う。
そもそも二人が出ずにK太郎さんだけの放送にすることも可能だったはず。

だけどそれをしなかった。


どういう経緯で二人が生放送をするにいたったかはわからないけれど、
二人に意志と、周りからは信頼とがなければきっと出来なかった事だと思います。




私はやたらと頭がシンとした状態でそれを聞き、
その言葉はどうだろう?とか、あぁそんなメールを読むんだなって思ったりして、
素直に二人にありがとう、と思う事が出来なかったのだけれど。

やっぱり二人の声に、それだけでものすごく安心したのは事実でした。



そして思いました。

アイドルは、すごい。




こんなにも誰かの人生の中にあって、
こんなにも誰かの人生を支えてるのだな、と。

ツイッターを見ていても毎日そう思うのですが。



私は関ジャニ∞に支えられてるというのとは少し違うかもしれないけれど、
例えば今日も歯をみがけることのありがたさとか、
ホットミルクを飲んだ後のような心の温かさのように、

「いつもの」という事が私を安心させてくれました。

そういう事を含めてアイドルが担っている物のなんて大きいことか、と。






そしてもうひとつ、「すごい」と思うのは

アイドルがメッセージを発信する立場であるという事。



その影響力もさる事ながらですが、その立場そのものがすごいなと思うのです。



私は彼らの仕事の中でも毎週木曜更新のレンジャーって大変な仕事だなぁと思っていて、
マルちゃんやヨコなんかはもっと大変なんだろうけど、とにかくすごいな、と。




自分の言葉は、自分のもので自分だけの言葉だから、
ある意味で何を言っても間違いではないし、
その思想に基づく行動で人を傷つけることはあってそれは危惧されるけれど
何を考えるか、何を語るかという事を誰に制限される事もない。
例えば、こういうブログなんかでも「見たあなたが悪いんでしょ」と言える。




だけど、誰かに向けた言葉は違うから。

「「頑張れ」の一言がまた君に無理をさせていないかい」
「頑張れ、頑張れっていう声が邪魔だ」

じゃないけれど、
前の記事にも少し書きましたが、「メッセージ」は人を傷つける。



少なからず、誰かがその人自身のために書いた言葉にも勝手に傷ついたりしますけど苦笑



善意の押し売りはまだしも、思想の押しつけもまた「メッセージ」だし、
励ましもまた大きな「メッセージ」の形。

もちろんそれがたくさんの心を救うのだけれど、
だからこそ、メッセージはなくなってはいけないのだけど。

これが何より難しい。


ツイッターでは、今ただの「つぶやき」のはずの意味を超えて、
 全てが個人に突きつけられてて、公式RTもズンとこちらに向かってきて、
 何がメッセージなのかそうでないのか、それさえわからなくなりそうで、
 だから、やっぱり冷静かつ慎重になる姿勢をとるべきだと思います。

 通常ツイは自由でいいと思いますが、
 「拡散」も含め、他者を意識する必要はいつも以上にあるのだと。)






誰かが誰かにむけた言葉。
ヤジルシがその人に、私に突きつけられて、
誰かに、私にどう響くかで言葉に「正解」「不正解」が出てくるのではないかと思います。

正解や不正解というのはちょっと無機質な言い方過ぎるかもしれませんが、
純粋に「ありがとう」と思えたり、「なるほど」って思ったり、
「あなたに何がわかるの」と思ったり、「そんな事言われても」って思えたりすること。

それは言葉自体もそうだし、
タイミングなんかでも変わる不安定なものであるから余計に怖いもので。
これは本当にいつでも意識しなければならない事だと思っています。


プレゼント、贈り物と一緒で
全ては受け手がどう思ったか、です。





ウェブは絶対に「読まれること」が前提だから、
例えば個人のブログなんかとは規模が違うという意味でもそうだけど、
少なからず「自分以外の人のために」書かなければならなくて。

それってすごく大変な事じゃんじゃないか、と思う。





私は、ヤジルシのある言葉を言うのがすごく苦手です。

誰かに送る言葉がすごく苦手です。きっと。


どこまでも自分本位な事しか言えない。



「頑張れ」とか「大丈夫だよ」とか言えない。

まして「〜〜しよう!」なんて言えない。




誰にどう響くかわからない言葉を吐くなら、沈黙する事を選んでしまう。

何故かってここ最近ずっと考えているのですが、
やっぱりそこに正解不正解があると思っていて、
そこには大きな責任があるから、あるべきだと思っているからなんだと思います。

何より、大きな覚悟がいる事で。




だけど沈黙はあくまで沈黙であって、

要は0なんですよね。



責任って誰に対するどんな責任なんだろう。
(ましてこんな私が苦笑)

例え嘘でもごまかしでもその言葉が誰かをきっと救っているんだろう。



そんな事を思ったりして、
冷静であろうとすることで、冷たいと思われるんだろうとか(それは別にいいのですが)、
なんというか客観性を持つにはある程度の距離を持つべきだけれど、
その距離に、寄り添わないという事に、どんな意味・・価値があるのだろうなんて思ったりします。



とは言え、それが出来る方はきっとたくさんいて
私は無理にそれをする必要はない、と思う事にしています。
思いやりの形はひとつじゃないはず、と。


もどかしかったり、自分が嫌になったりしますが。

自分が難しく考え過ぎているのもわかっていて、
言いたい事を言いたい人にむかって言う、それでいいじゃないかと気持ちもあるのですが。





そんな事を思っていた中だったから、
今のウェブの更新であったり、今回のレコメンさんにはそれだけで頭が下がる想いで、

そのメッセージそのものが正しいかどうかはわからないですが、
(今回は特に個人・立場によって違うように響いているはずだし)
だけどそれをした、しようとしたことそのものに尊敬の念を抱きました。






ヒナちゃんは普段のレンジャーでも「〜しよう」と言うし、
ヨコも「家族を大切に」とか「感謝を大切に」なんて事は言いますよね。


だけど二人とも、というかエイトはみんな割と苦手なんじゃないかと思います。
「メッセージ」を発信する、という事が。

自信だったり、何に重きを置いてるかで個人差が出ることだと思うのですが、
エイトはみんな割と・・・苦手だと思う。






だけどそれをやらなきゃならないのがアイドルで、

もちろんそれをしないという姿勢もありますが(亮ちゃんなんかそうですよね)、
その存在はそれだけでメッセージを伴っている訳で。
なんせファンが勝手に個人でそれを作りだしますしね。

それが「影響力」という事なのだと思うし、
ヒナちゃん、たつなんかが言う「伝えることの出来る立場」はそういう事を含むのでしょう。


だから、今回のレコメンさんなんかは
普通にいつも通りのような放送をしてもそれだけで意味があったと思うし、
それだけで多くのメッセージを示すことになったと思うのだけれど、


あれだけ本当にまっすぐ震災に向き合った放送をした。
そして放送中、とにかくリスナーに向かって話した。





あぁ。

すごいなぁ・・・と。



アイドル、というかヨコヒナがすごいなぁと。
その立場はすごいなぁと。
そしてその覚悟がすごいな、と。

「すごい」だなんて、すごく抽象的な言葉ですが苦笑





「自分の出来る事」をする、とは

きっとあぁいう事なんだろうな、と思いました。





あぅ。

何が書きたいのかわからなくなってきました。



えと、

だから私も。



私は私の毎日を、やるべきことをしようと思います。
私なんかにも出来ることはきっとあるはずですよね。
出来る事はすごく小さいけれど、
それでもそう思わずにはいられません。

というか
そう思わせてもらうことで、自分の心を軽くさせてもらっています。




あー、ダラダラ書いちゃった;(←いつもの事)







顔洗ってきます!うっす。