終戦日に考えていた


前の前のブログから転載
2009年8月17日


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エイトが好きだー!!




って、事だけをひたすら語ってるウチのブログ。


まぁそれを言わせてもらえてるだけで幸せなのですが。
たまにはまじめな事を書きます。






少し前だけど15日、終戦記念日でしたよね。

ちょっと前からお邪魔してるブログさんだったり、
後はみやうち先生のブログでも書かれていたので。
少し自分も考えてみました。

それから、もしかしたら
私の大好きな方がここを見てくださるかもしれないので、
(URLを押し付けてみた…)
ちょっとはこういう文章もおいておかなければ!と思って笑








ん。



戦争。



それはこの世で一番あってはならない事。





辞書でみると「幸せ」の反対は「戦争」なんですよね。

「幸せ」が何かなんて私にはわからなくて。
だけど、ぼんやりだけど私は
それは「自由」つまり「意思」が持てる世界だと思ってて、

自分が思うことをできる、
思う方向に歩ける。
自分の好きな人を愛せる、寄り添うことが出来る。
その前に「思う」「感情を抱く」ことができること。
それが「幸せ」のカタチのひとつだと思う。




「命」が奪われる事はもちろん、
一人ひとりの正解が決められている世界。

それがすごく恐ろしいことだと思う。


しかもそれは「どこの国は敵だ」とか「国のためならなんでもやる」とか。
正に負の意思。

ひたすらそれに包まれて、「私」がどこにもいない。
いや、そんなものを持ってはいけない。
それだけが正しい。


こんな事を考えて、
それを恐怖だと考えている自体、
もしかしたら私達はいつかに比べてものすごく身勝手になったのかもしれなくて。

そして、それも怖い。






何不自由なくて。

多少の悩みがあっても、「生」の危機はない。
私にもないし、
身近な誰かにもない。
確かに何があるかわかない世の中だけど。
明日私の家族に何かあるかもしれない…っていう危機感は低い。


保障された明日がある。



すべてはそこに依存して、
「私」の今があって、すべてがある。



そう、それがどれだけありがたい事だろう。








戦争がなかったら…。



いろんな事が考えられる。

あるべき命があっただろう。
あるべき出会いと、別れがあっただろう。
触れ合いや、思い出や、
想像を絶する、たくさんの何かがあったはず。
失われたキラキラが、無数にあったはず。






うん。

だけど



もし戦争がなかったら、


まず高度成長というものがなかった。
きっと私がこうしてパソコンを打ってる今はなかった。
もしかしたらまだみんなが着物を着て、ちょんまげつけてたかも。


失われた出会いもあったからこそ、
だから生まれた出会いもあった。
もし誰かが生きてたら、
私のおばあちゃんはおじいちゃんと出会い、結婚することがなかった。

かも。





戦争を肯定する気持ちはかけらもないです。





だけど、
それは過去に起きてしまったことで、

それを悔やむ気持ちはもちろん絶対に忘れてはいけないけれど。
それだけに縛られたり、
それだけを思っているというのは少し違うと思う。





そんな悲惨な過去があった。



だったら、


それを経てある「今」があって、
そこに自分の存在が在るのはなぜ?って。


それを考えなければならないんだよね。






過去をしっかりと抱きしめて、
「今」に生きる・生きることができる私の、私が、やるべきこと。

それを考える。





わからなくても。

考えて、考えて、やっぱりわからなくても、考えて。







だってそれしか出来ないもの。


私たちはきっと
いつかに比べて「自由」で、「幸せ」なのだから。

過去に対してそれしか出来ないけれど、
過去に対して、私達はそれが出来る。




だから今、

アホみたいに笑って、笑って。
目の前にあることに精一杯になって。
誰でもない自分を、今にある自分を堪能しまくって。
青臭くても。

そういう事をせめて、
いや、そういう事をさせてもらう!ぐらいの気持ちで。

なんていうか。




だからって無理をする事はないのだけど。




戦争中じゃなくて、
「今」私がこうして生きてるのはなんでだろ?って。
ぼんやりでも考えたら。

なんかそれだけで色んな事に対する考えを少し変えられると思う。




そして例えば「生」に対する執着やエネルギーが
そのいつか、に負けていてはいけない。
絶対に。

これだけは絶対。









これが運命、なのか
なんて事言い出したらきりがないのだけど。


例えば地球が出来てから云億っていう時間が流れてて、
100年なんてそこからしたら鼻クソみたいな時間だけど。
そのたった100年、生まれてくるのが違えば
私は今の世界を知らなかったし、エイトにも出会わなかった。
まったく違う世界がそこにはあって…

いや、たった1年でもいい。

もし1年生まれてくるのが早かったり遅かったりしたら。
もうそれだけの今のこの私はどこにもいないんだ。


それを言い出したら、
本当にたったひとつの何かが違えば全部が変わってくる事になる。
歯車がどこでどうしてどうなってるのかはわからないけれど、
数えきれない可能性の中に、こうして「在る」ことを。


よくも悪くも、
ここにあってそうしているこの私を



せめて愛してやるか、と思う。






それだけ。

の、ことがめちゃくちゃ難しいのだけど。










戦争は絶対にいけない。



今までもこれからもそれは絶対にあってはいけないもの。

虚しくて、ただ悲しくて。
何も生まない。





それは忘れてはいけないけれど。


残念ながら私たちは過去に戻る方法も
それを止めたりやり直す方法を知らないから。




変えられる今と、未来をどうするのかって。

世界を!なんて大袈裟な事じゃなくて
たった一人、この自分をどうするのかって事を。





せめて考えるべきだと思います。













私はそう思います。












戦争は無意味なものだけど、

それをどう解釈するのって無限の方法がある。
そして一年に一度だってそれに向き合うべき、だよね。きっと。




終戦記念日ってそのための日だと思います。


完全っに過ぎてるけど笑
しかも誰かの影響だったりするけど←














うーん。


なんか薄っぺらくなったかも。




なんか頭がゴリゴリする本読まないと駄目だなぁ。